初夏の候となりました。皆様にはお元気のこととお慶び申し上げます。
さて、本日は、「夢メール」の趣旨から少し外れるかも知れませんが、私の政策秘書でありました福崎君のことを書かせていただきたいと思います。
福崎君が東京・虎ノ門病院で逝去したのは4月24日でした。早くも一ヶ月が過ぎたことに驚かされますが、同時に福崎君に感謝する気持ちは募るばかりです。
4月27日に龍野市の専龍寺で執り行われた葬儀の葬儀委員長を務めさせていただき、式辞でも申し述べましたが、福崎君に最後に接したのは4月22日の金曜日の午後。私が選挙区に戻る前でした。
ぐっすりと気持ちよさそうに眠っていました。それからわずか1日半で息を引き取るとは、痛恨の極みであります。
その2週間前から容態が悪化し、懸命に病魔と闘いながら、振り絞る声で、最後に私にかけてくれた言葉は、「道半ばで勝手することをお許し下さい」というものでした。今思えば覚悟を決めていたのでしょう。涙なくして、その光景を思い出すことはできません。
福崎君は、父河本敏夫の秘書として政治活動のスタートを切りました。河本家に忠誠を誓い親父を懸命に支え、故郷兵庫から初めての総理を誕生させようと若手の先頭に立って奮闘してくれました。その活躍ぶりを知る多くの新聞記者諸君が今なお口をそろえて評価しています。
その親父が4年前に他界した時も、福崎君が、水も漏らさぬ葬儀の準備手配をしてくれたおかげで、小泉総理が、「立派な告別式だった」と誉めてくれたものでした。
私が父の意志を継ぎ、政治の道に足を踏み入れてから今日まで、福崎君は一心同体で歩んでくれました。とりわけ一昨年11月の総選挙では、再起を期す私を命がけで引っ張り勝利へ導いてくれました。
選挙の原点は、真心をいただくことから始まるのだという問題意識を互いに共有し、政策を掲げて堂々と勝負した結果が復活への架け橋につながったのです。まさに福崎君がいたから、今の私がおります。いくら感謝しても、しきれるものではありません。
昨年は悲願の第一子開土君を授かりながら、愛情を注ぐことができず、悲しみのどん底にありましたが、それでも持ち前の明るさで淡々と机に向かって仕事をこなす姿は、秘書の鏡であり、仲間からも高く評価されていました。滅私奉公、公私峻別、忠誠心、どれをとっても福崎君は完璧であり、私の誇り、自慢の秘書でした。本当に偉かった。あの世できっと、奥さんの智子さんの献身的な看病に感謝しながら、開土君と遊んでいることでしょう。
私は、以上のような要旨の「式辞文」を用意し、葬儀に臨みましたが、次から次へと福崎君への思いが湧いてきて、書いたものを離れ、すらすらと述べることができました。まるで、目の前の福崎君と話をするかのように。
25年間、河本を心底支えてくれた福崎君の情熱に心から感謝します。安らかに眠ってください。
私は、福崎君の死を乗り越え、さらに多くの方々の支持をいただきながら、政治の道を邁進する覚悟を新たにしております。
