子供の夏休み、家族や親戚の里帰り、旧盆の墓参りなどと、8月はさまざまな行事が重なり何かと忙しい時期です。私も日常生活の中でひと通りのことをこなしながら、合間を縫って支持者の皆さまのところをお訪ねし、政治に対する要望をお聞きするなどの活動を元気に続けております。
そういう私が、8月に特別の思いを抱くのは、やはり先の戦争のことです。今年は59回目の終戦記念日を迎えます。国民から負託された一人の政治家として、「戦争は二度と繰り返してはならない」と、固く誓う月でもあるわけです。
私は昭和25年(1950)生まれですので、終戦直後の混乱期を知りませんが、当時の政治家がどんな思いや決断であの難局を乗り切ったかを知ることは、現代の政治家である私にとって教訓に満ちているはずです。
そこで私は、父であり、政治家の師匠でもある河本敏夫が、昭和23年(1948)11月に選挙区内で行った講演の全文を読んでみました。河本敏夫の思想と私の信条を重ね合わせながら、少し紹介させていただきたいと思います。
「日本の進路」と題した講演で、河本敏夫は、まず、「『敗戦で日本は外国の植民地になった。祖国日本は永久に立ち上がれない』と悲観する人が多いが、私は断じてそうは考えない」と反論します。その理由として、河本敏夫は、第一に、日本が敗戦によって4つの島に閉じ込められた地理的条件を見据え、「背後には広大なアジア大陸があり、眼前には太平洋が広がっているではないか」と地政学上の日本を俯瞰(ふかん)しております。狭い国土に悲観するなという励ましです。第二に、日本民族の質に言及し、「日本民族は進取の気風に富み、勤勉力がある」と自負しております。
第三に、産業の水準について、「戦争に敗れたとはいえ、わが国の工業的能力は、なお世界有数の水準にあり、農業経営と技術もアジアでは群を抜いている」と評価し、第四に、文化・教育に触れ、「文化的水準、教育の普及は、三流国でも四流国でもない。依然、一流国である」と断言します。
これらの条件を合わせれば、国土再建は十分可能だというのが河本敏夫の信念でした。その上で「サーベルを下げ、あるいは軍艦に乗ってではなく、世界より尊敬せられる高度な産業と文化を持ち、豊かな生活と思想を持った民族として、日本並びに日本人は世界に立たねばならない」と、国民を励ます言葉で結んでおります。
なんと先見性に富んだ考え方か。なんと国民の能力を信頼した政治家だったか。楽天的ともいえるその洞察力の鋭さに、私は実の父であることを忘れ、河本敏夫という一政治家を見直しました。戦前の軍部の横暴、戦後の共産党の独善ぶりを厳しく批判し、平和主義・民主主義の政治理念を掲げた政治家だったことも知りました。
父も引用していましたが、禅の言葉「脚下を見よ」の教えの通り、私も足元をしっかり見つめ、父に負けない政治家になるため、切磋琢磨することを墓前に誓います。
