私のサラリーマン時代
/ 河本三郎衆議院議員
《三光汽船株式会社》
世界の国々の価値観の違いを痛感
政治が安定し国民生活の充実がある
大学で機械工学を修学した私は、その知識を生かせる道を探していました。いろいろな方からのアドバイスもあり、新造船や修繕船の分野で力を発揮できるのではないかと考え、昭和四十九年、三光汽船株式会社に入社しました。
しかし、仕事の現場は図面を書いていればそれでいいという甘いものではありません。何社もの会社と交渉などもしなければならず、大学で学んだことだけでは通用しない、厳しい世界であることを実感させられました。
退社するまでの十七年間、一年のうち約二百日を国内外の出張先で過ごすという生活を続け、常に作業現場の第一線で働いてきました。特に大変だったのは、海外での仕事です。世界中からスタッフが集まってくるため、英語ばかりでなく、ドイツ語、フランス語などさまざまな言語を使う人たちと仕事をしていかなければなりません。国内での仕事に比べて言葉の壁がある海外での仕事は想像を絶する大変さがありました。
当時、言葉の問題に加え、生活文化が大きく異なる欧州に、半年以上出張することは不可能だと言われていました。ところが、上司から「君なら大丈夫だろう」と言われ、ポルトガルの首都リスボンに一年ほど駐在したことがあります。
リスボンでの仕事は、カルチャーショックの連続でした。修繕船の作業は二十四時間三交代のシフトで行われるのですが、欧州の人たちは日本人のように時間にきちょうめんではないため、引継ぎがうまくいきません。現場の監督をしていた私は、何度も苦い思いをさせられました。話し合いをするときも、日本人の考え方では会話の歯車が合わず、こちらの伝えたいことが全く伝わらないのです。
また、欧州では二カ月間くらい休暇をとることが普通です。お昼休みもワインを飲みながら二時間近くとる人もいます。船が修繕のため港に停泊すると、一日三百万円ものペナルティ料を支払わなければならないのです。そのためわれわれ日本人は、一日も早く現状復帰させようと躍起になって仕事をするのですが、欧州のスタッフは、どんなときも常に慌てることなく行動するのです。海外の現場に足を運び、各国の人たちと仕事をしたことで、世界の国々のさまざまな考え方や、価値観の違いを痛感することになりました。
数年前、議院運営委員会の理事として海外視察の機会があり、約二十年ぶりにリスボンを訪れたのですが、街並みがほとんど変わっていなかったことに大変驚きました。歴史ある街並みを大切に保護していこうとする欧州文化の深さにあらためて感動を覚えました。
自分の技術をフル回転してサラリーマン生活を送ってきた私は、四十歳を前にして、外国での仕事の経験を日本の政治に生かしてみたいと一念発起しました。
例えば、日本に入ってくる原油の八〇パーセントは中東諸国から運ばれてきます。もし、マラッカ海峡が占拠され、閉鎖されてしまったら日本の国民生活はどうなってしまうのか――など考えます。
私はサラリーマン時代に、外国の地から日本の置かれている立場を見てきました。今こそグローバルな視点をもって政治に取り組まなければならない時だと考えています。政治の安定があって初めて国民生活の充実があります。
これからも私は政治の現場の第一線で、サラリーマン時代に培った力を日本のために生かせるよう尽力してまいります。
(自由民主九月十四日付号より転載)