魂は死なず
わが父、河本敏夫の逝去に際しましては、皆さまから深いお心のこもった哀悼をいただき、誠にありがとうございました。
父の生涯は、まさしく祖国日本と郷土西播磨のために一身を捧げ尽くした長き日々でありました。その最期のぎりぎりまで、日本と西播磨の未来を憂う言葉を、不自由な口から懸命に吐きつつ逝く、壮絶な死でありました。
 河本敏夫を、もっとも河本らしくあらしめたもの、それは背筋をピンと伸ばした分かりやすい姿勢であったと思います。
河本敏夫は、媚びることなく、弁解することもありませんでした。
旧制姫路高校在学中に反戦演説をぶって退学処分になった時も、世界有数の企業に育てあげた海運会社が手から離れる時も、一言も弁明しませんでした。
その姿勢は、総理になれるかどうかの瀬戸際においても、やはり同じでありました。「師である三木武夫を裏切れば総理だ」と、当時の最大派閥からささやかれた時にも、父は一顧だにせず、そのために無念の涙を呑みました。
父は悔いをただの一度として口にせず、「信なくば立たず」の言葉を掲げて河本派を盛運に導き、ついに河本派から総理を送り出すに至ったのです。
そして、河本敏夫が本当の輝きを放ったのは、むしろこの後だと私は思うのです。
父は、総理を支えつつ、吉田松陰の書を集めて読みふけりました。後続の若い政治家を育てる役割に徹するためです。実際に、次々と新人を発掘し当選させ、国政に送り出しました。
ところが、この若手が熱にうなされるように自由民主党を離党し、新進党や短命政党に走った時期がありました。
しかし、河本敏夫は、彼らをひと言も責めず、最後はただ「頑張りなさい」と大きな手で相手の両手を握って送り出しました。
これは知られざる父の晩年像であります。
信念の人、河本敏夫が私に託したもの─それはまさしく、火を噴くように激しい思い、「背を曲げず、嘘をつかず、弁明せず、人を責めずの姿勢を世に見せよ。それこそが真の政治家だ」という思いであります。
河本敏夫は、息子だからと言って特権を与える人ではありません。
私生活においては、驚くほど笑顔の優しい父でありましたが、公の生活においては、何らの公私混同もありませんでした。
「時代が変わっても姿勢を曲げない人」を後継者に選ぶという基準はきわめて明快であり、家族であるかないかなど、河本敏夫の考えにはありませんでした。
ひとつの時代の終わりは、新しい時代の始まりでなければなりません。
受け継ぐべきものを受け継ぎ、一新するものを一新する。それが郷土の代表であり、西播磨の地には
私ただ一人であることを、大志を果たしえなかった父、河本敏夫を弔うなかでこそ、皆さまにお誓いしたいと思います。
河本敏夫の魂は、私の心の中に、そして皆さまの心の中に、どこまでも生き続けるものと、固く信じています。
平成13(2001)年6月6日

追伸
河本敏夫の地元葬は、「自由民主党・河本家
合同葬」(葬儀委員長/小泉純一郎総裁)の形で7月8日(日)午後2時から、相生市民会館で執り行う予定です。 |