父に捧ぐ
21世紀になって初めての夢メールをお届けするにあたり、正直、私には迷いがありました。
新世紀の幕開けを飾るには、明るい話題も語りたくなります。しかし私は、考えた末に、やはり今回は親父のことを書くことにします。
驚くほどに沢山のお電話を、それもまるでご自分の父上のことを心配されるような気持ちのこもったお電話をいただいたからです。
1月12日のことです。親父を介護している家内から「容体が不安定になっている」との連絡をもらって、慌てて東京に行きました。飛行機の中で私の胸を去来したのは、平成8年、衆院解散が秒読みに入った9月26日の夜に親父が言った河本敏夫らしい短い一言でした。
「もう、この体では故郷には帰れんだろう。候補者不在の選挙を、地元の人たちにやらせては、いかん」
 親父はそのとき、政治生活が47年間に達していました。あと3年で国会議員在職50年となり、特別の栄誉が与えられます。しかし河本敏夫は、西播磨に帰れない体であると知ったとき、潔く身を決しました。
そして、親父は万感の思いとともに、私に全てを託したのであります。
私はいま、その親父の思いに応えていないという気持ちでいっぱいです。
親父は、平成6年に脳梗塞を患ってから苦闘の療養生活を続け、もう7年になります。今回はなんとか持ち直し、病院で戦っています。もう少し、あと少し元気でいてほしい。どうか皆さんも、励ましの言葉を心の中で東京の病院へ送っていただきたいと思います。皆さんの気持ちはきっと届くと思います。
きっと私は、故郷のためにも復活して見せます。
そのためには、どうしても皆さんのお力がなくては、かないません。私のこのWebサイトも、全てを新しくして再出発しました。この中では、みなさんと私が直接、意見や感想をかわす「こうもっと会議」(掲示板・BBS)もオープンしました。
技術者から出発した私の、ささやかなIT革命です。
2001年1月25日

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