教育ルネッサンス
みなさん、国の未来を文字通りに左右する少年少女の信じがたいほどの荒廃は、ついに私たちの西播磨にも及びました。
龍野警察署の管内で、16歳の少年と少女が連れ立ってさしたる動機もなく、真面目に働くタクシーの運転手さんの首に斬りつけて殺害し、わずかなカネを奪うという目を覆う事件が起きてしまいました。
この国にいったい何が起きているのか、そう不安を覚えない国民はいないでしょう。
人を傷つけてはならない、ましてや命を奪うことは永遠に許されないという、誰でも分かっていたはずのことが、普通の子供に分からなくなっているのです。
傷つけられる側、命を奪われる側に立つ、そのことができなくなっているからです。
 この問題は、もはや根本に立ち返ることでしか解決を見いだすことはできません。
私自身も男子二人の子を持つ親として、第一に考えるのは、健康な家庭が教育の原点であることです。
上記の16歳の少年は、犯行の直接の動機として「親に叱られた」と取り調べの警察官に語って背後に親子関係の歪みがあることを匂わせていたものの、少女の家庭は教育者の一家であり、少女の学校では何の異変も発見できていませんでした。
最も大切なのは、かつて特定少数の「非行少年」を生み出す土壌として「問題家庭」が取りあげられた時代と、現在の事態は、全く様相を異にしているという事実です。
貧困や両親の不仲、父親の暴力といった特定の問題が、特殊な非行少年を生み出す。その構図ではなく、一見はむしろ良い家庭に見える、しかも優等生に近い未成年たちが多く、凶悪犯罪を平然と犯してしまうのが、現下の事態なのです。
私は、親、つまり大人も、子供に伝えるべき理念と目標を見失っていることが、親子関係をおかしくしていると考えます。
子供は、何のために学校で学び、なぜ他人を思いやるか、それが分からなくなっています。これは子供だけの問題でしょうか。
親、大人もまた、何のために働き、どう人を思いやるか、子供にうまく説明できなくなっていないでしょうか。
「普通の子」の荒廃を食い止め、目標を取り戻させるためには教育のルネッサンス(復興)がどうしても必要です。
その教育ルネッサンスは、学校だけでは完遂できない段階に至っています。家庭のルネッサンスも、欠かせなくなっているのです。

こうしたなかで、国政への復活をめざす私にできる仕事は何でしょうか。
地域を代表して国政に出る者は、実は何よりも、地域の人々の「こころ」を知ることが大切です。
エリートとしての代表ではなく、郷里の人々の弱い心、悩み苦しんでいる心こそを知るところから、全てが始まっていなければなりません。
ですから私は、郷里で日々、積み重ねていく対話において何よりも、地域の大人たちと心を通わせることを、これまでより一層、重視しようと考えています。
何のために働くか。その根源は、ただ愛のためではないでしょうか。
なぜ人を思いやるか、それは自らも人から思いやりを受けなければ生きてはいけないからではないでしょうか。
私は、この信念を、みなさんと語りあっていきたいと思います。
 それと同時に、国政だけが可能な教育制度改革を断行しなければなりません。
教育を細切れにせず、子供、親、教師の三者の対話をじっくりと行えるように、現行の六・三・三制を廃止し、中高一貫教育の六・六制に改革します。
また、教員の待遇改善に努め、安心して教育に打ち込めるようにします。
制度の改革は、まずはこの二大改革から始めます。
それと並行して、社会と国全体に「目標」を創ることが大切なのです。
ですから、私の提唱する教育ルネッサンスは、他の全ての政策と密接につながり合っています。

 
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